こぎん芸人行状記

砧川キヌ子のサイトでござい

青森県弘前市在住のこぎん刺し芸人・砧川キヌ子の情報を掲載しています

津軽は多分もう間も無く冬

お写真は、りんごもぎが終わって黄色く紅葉しはじめた、おそらく「ふじ」という品種のりんごの木です、全体的に黄色くなるようです、品種によって紅葉の具合もずいぶん違うんですよねえ

お写真は撮れてませんが今日の岩木山はだいぶ真っ白くなっておりました、そろそろこの辺りにも雪がふる季節となってまいります、桜の枝の枯葉も落ちていよいよ冬の支度も万全、という趣であります、ただ人間の方は「タイヤまだ交換してねえ」みたいな感じであわあわするのも恒例であります

おかげさまで今年のcogin+Tの出店はおそらく12月3日4日の松の湯交流館で開催されるイベントで最後かなと思われます

今後cogin+Tは次の段階として、いよいよ「実店舗を持つ」を目標にやってゆくことにいたしました、より充実した在庫と品揃えをご用意できるようにして、より多くのお客様にこぎん刺しの魅力を伝えるべくやってゆく所存であります

「資金どうすんのさ」とか考えたら怖いこととかもいろいろあるわけですが、とりあえず葱しょった鴨とならぬべく精進してまいりますです

とりあえず「Tシャツ作ってもすぐ在庫なって次のイベントに出すものがなくなる」という状況を来年こそは前向きになんとかしたいわけですよ、なんとか打破してゆかねばと

こぎん刺し、菱刺しはまだまだポテンシャルがあると思うんです、世間様にもっともっとあまねく知らしめるお手伝いとなれるよう、今後ともがんばってまいります

いやー、実店舗ができたらこぎん刺しや菱刺しのだけじゃなくてシルクスクリーンのワークショップをやってもおもしろそうだし、店内がある程度広ければ椅子たくさん並べてこぎん刺しトークショーとかコントライブとかもやりたいですねえ、夢が広がる話ですほんとに


全然関係ない話ですが、このところSNSで「スマホ認知症」というトレンドを見かけるようになりました、あらそんなのもあるのねえ、といいながらまさに今のおのれがこれです

あたまがぼんやりするし、依存っぽくなってもいるし、数日治んなかったりするし、こりゃいいかげんなんとかせんとな、とて、スマホとうまい距離を保つ試みをおこなっているところです

スマホ認知症の解消法として「スマホを見ない」というのがよく記載されていますが、ほとんど依存症みたいになってる状態でそれができたら苦労はしないわけです、『この時間以降はスマホを絶対見てはならない』とか考えるのは逆効果ですたぶん絶対できないからそんなん

なので今私がやっている工夫は、「スマホに向ける集中力を加減する」というものです

スマホを見るときに、眉間に思いっきりシワが寄るような集中の仕方をしないように心がけ、そのへんのお花とかお空とかを眺めるのとおんなじくらいの感覚で、スマホの画面をさんじゃらっと眺む、といった具合です

「内容に入れ込みすぎない」という感覚で、「あらそうなのね」と話半分、今見た内容はひとまずさっさと頭から流してしまうのもよいですね、どーせ真面目に読んだところで5分も経てば忘れてますわいつも

およそ、IT機器というのは「正解の連続」で組み上がっている世界です、誰かが製品を作り、誰かがその製品で動くプログラムを書き、ユーザー側はそのプログラムが動作するルールに則って、掲載できる情報だけを掲載することになる

つまり、「特定のルール下で正解を素早く叩き出せる」という人が「勝ちやすい」という世界でもあります

ここでいう正解は「製作者側が意図した正解」というもので、それに則ったシミュレーションに慣れた人はIT機器の操作にどんどん長けてゆくというわけです

一方で、こういう類の機器は「プログラミングされたことしかしない」のも特徴なので、それ以外のことをさせたい場合は「機能を追加する」「こちら側がプログラミングの内容に合うように工夫をする」必要があります

こんな機器があっちにもこっちにも大量に生活に氾濫するとなると、「世の中は厳然たる『正解』によって成り立っている」「それに則って居れば暮らすのに困らない」、もっと言えば「それに外れたものは考えない」というとこまで考えが行きつくのも無理がない話だよなあ、と思います、ほとんどSFみたいな話ですけどね

でも、こういう機器を「完全に排除するのが自然に生きることだ」というのもまたちょっと、ワタクシとしては違うんではないかなと思われます、世界に対して「不便だったから」「開発してなんとかした」のもまた人間の自然の仕業なのです

ではこれらの機器とどう付き合うか、と考えた時にワタクシは、「お前たちは数多の道具のひとつだよ」、と扱うことにしてみたわけです、不便なら使わないし、使い倒したいだけ使ってもいい、人間はその頭の中で単なる文章から宇宙以上に広大なものを読み取る想像力を持っているので、単なるスマホの画面の中にもそれは膨大な情報を受け取ったり作り出したりすることができてしまいますが、それは結局おのれにとって、そこらの本の切れっ端、昨日食べた筑前煮、帰り道の冷たい風などとおんなじくらいのものなのよ、と、入れ混み具合をゆるめてしまい、「ふーんそんな話もあるのね〜」、とつぶやいて忘れてしまうのです

ここで大事なのは、「『本当の自分』というのはあらかじめ存在したりはしない」ことを思い出すことです、人間は「今演じた自分」が「現時点での本当の自分」として記録されるだけなので、無理矢理でも演じてやることさえできれば現時点の自分自身というものを上書きすることができるのです

なので、「本当の自分はどうやれば労わることができるのか」を考えるんではなくて、「この時間を好き勝手することができるならばどんな自分を演じてやろうか」と考えれば「スマホをさんじゃらっと見ておく自分」なんてお手のものです

これらの対策が意外と功を奏して症状はだいぶなくなってきました、この文章の後半はスマホで書いておりますが、いつも使ってるノートに書く気持ちを演じつつ使っているので目や頭にも優しいような気がいたします、なるべく遠目に見るようにしてるし(ストレートネックの危険性だけが去りません)

まあ適当な理屈なのでほんとかどうかはわからないわけですが、ワタクシひとりに効き目があればワタクシひとりには充分であります

今後とも、本当か嘘かわからない話をどんどこしたいと思いますのでまた次回以降もよろしくお願いいたします