
お写真は今日撮ったやつをiPhoneのアプリを3つ使って5回ぐらい加工したやつ(本文と関係ない)
久方ぶりにブログを書きます
ブログを「忙しくて」全然書かなくなった、というのをここしばらくはあちこちで言いふらしていて、自分でもそう信じて疑うこともなかったのですが、最近突然、「単に気分の問題だった」と感じるようになりました、何故かをまとめることにします
東京でお笑いライブに出るなり、自分で企画するなりをしていた頃、このようにブログに文章を書きつけて頭の中身をまとめることがよくありました、まとめるためだけにブログに文章を書いて、後から特には読み返さないのでした
ブログに何かを書くときの自分は基本的に「お笑いの活動を何かしらでしているから書けている」、もっと言えば「お笑いに関する何かをしているから公開される場所に文章を書くことを許されると思っている」状態でした、無論そんなルールなど実際にはあるわけがないので、自分でただそう考えているというだけでした
で、青森に来てからは東京にいるほどお笑いの活動をしなくなりました、できるだけしようと思って、がんばったりもしたんですが、やはり減りました
なのでルール的に「自分は公開される場所に物を書く権利を失った」と自分で思い込んだのだと思われます、何度も言う通り実際にそんなルールのあるわけが無いのでほんとに気分の問題でした、そしてそんなルールで自分がブログを書くのををやめているだなどと自分自身で思いおよびもしないのでした
少し話が飛びますが
今年の5月末日、田子町で開催されたタプコプマルシェに参加した折、Tシャツを購入してくださった「占わない占い師」の方にタロットで占っていただいたところ(占わないとのことでしたが占ってもらったようにしか思えませんでした)、「自分自身は固まったのであとは光にあたるだけ」というアドバイスを頂きました、なるほどなあととても得心をしました(あの得心度で500円はやっぱり安すぎであるように思いました)
その後6月になり、津軽AI雑談室の会場予約のため弘前市民会館に出向いたところ三谷幸喜と戸田恵子の舞台が来るというのを見かけ、「こういうものを見て勉強しなくてはならないだろうな」とその場でスマホでチケットを押さえました
ちゃんと見に行くつもりでいたのに、人生で初めて「チケットを買った芝居に『行き忘れる』」という経験をしました、ソールドアウトの公演をそんな理由ですっぽかすだなんて本当に申し訳ないのと、なかなか高額のチケットだったしちゃんと観に行くつもりでいたのに本当に忘れるという経験をしたのです
あのチケットを買った理由、やはりこの歳としては浅はかであった、もう有名な誰かの何かを見て学ぶとかそんなフェーズではない、美味いもんだけ食おうとしてそれで勉強したようなつもりになっとる場合ではない、この歳なら美味かろうが不味かろうがとっとと食って「これ美味いねえor不味いねえor新しいねえ」等々さまざまにのたまうようでなきゃ嘘だよなと
つまり、自分の「キャラメイク」は本当にもう終わったのだと自分にはそう思われました
なんでも、人はある程度の年齢になると「手持ちの札でなんとかしなければならなくなる」のだとか、まあそんなことをどこだかのタイムラインで見たような見なかったような、しかし、ゲームという物は「キャラメイクを終えてからがスタート」、そこからやっとレベル上げやら装備作成やらが出来るのです
なんてことを、考えていたつい先日、「じゃあもう『一般的』とか辞めよう」という心境になったのでした、青森に来てからというものそれはそれは真面目に真面目に、まあ一応、働いて参りましたが、「自分は普通である必要はないということにしておこう」と思い至った時に、あの「人前に公開されるものを書いてもいい」という気分も一緒に帰ってきたのでした
つまり、昔の自分というものは「普通でなくても良いということにしよう」というルールに「お笑い芸人であるから」という概念をくっつけることで納得させていたらしいのですが、それがここに来て「自分がなんであろうが好きなようにしとこう」という形でひっくり返ったわけです、何がどうひっくり返ったのかはわかりませんが、とにかくなんかしらがひっくりは返ったのです
多分、世の中では、こういう開き直り方をする人が、すごい人なら小学生だとか二十歳だとかでもうやっていて、その点で私はこの歳までかかってしまったんだろな、という気分ですが、なにぶん現時点の自分は所詮キャラメイクが終わった程度の人間であるので、まだまだはりきってレベル上げなり素材集めなり金策なりをやってゆく必要があるわけです、もっとも今ほどキャラメイクの概念の少ない30年前とかのゲームであっても名前つけるのに数時間悩む人だっておるわけですから、そういうペースは人それぞれというものだとは思っています(ゲームの名付けは自分はそんな悩まない人間でしたが)
それにしてもしかし、「普通でないことをしても良い」という方向性の矛先が何故自分の場合は「ブログを書くことに向かう」のかというのはやはりよくわかっていません、今でも普通に謎なのですがまあそんなのはなんでも良いわけです普通でも普通でなくても構わないので結局
とまあこういうわけで、なんかしらがすっきりしたような感じですので、また何がしかを思いついたらばこうして文章を書いてゆこうと思います、引き続きどうぞよろしくお願いいたします


