「好きなことするぞ」について理屈をこねる

お写真は「ビニール傘の誤持ち去りを防止するために貼ったmtの横尾忠則マスキングテープ」です、最近お写真撮ってなかったのでこれしかありませんでした、スマホ置き去りにして家出てきてしまったりとかしてまして

最近はいろんなところに首つっこんではいろんな作業をしておりますが、芸人活動についてはぜんぜん稼働できておりません、もう春と夏の境目くらいまでは待たないとだめかなと現時点では思っております、次はがっつりした単独ライブやりたいです、コントとインプロと一人芝居と映像作品上映を全部徹底的にやるやつを予定してます、お楽しみにどうぞ~

さて本日は報告できる話が少ないので適当な話をひとつ


「好きなことをして生きる」という言葉があります、私もさんざん好きなことして現在に至っているわけですが、これについて理屈をこねることにしましょう

まず「なぜ好きなことをして生きるのが良いこととされがちなのか」について考えます

たとえば、自分自身がなにかの意思決定をしよう、というときに、「自分のことをなんとも思っていない人」が意見してきたとして、「それに従うか」と聞かれたら「やっぱり従わない」のが自然であります

次に「自分が大事に思ってる人、自分を大事に思ってくれてる人」の意見があったとします、もちろん大いに参考にしてよいと思いますが、その意見に従った後に大失敗をしたとして、その責任を意見した相手に全部かぶせてOKかと言われると「従った自分も悪いしな」というのが人情といったところでしょう

つまり、自分で何かを選ぶときには「自分の責任をゼロにできない」という条件も同時に選んでいることになるわけです

これは、個人的な感覚でもあるのだと思うのですが、何かを選ぶとしたときは「自分のせいだけにする」というのが、どんな結果になろうとも一番後悔が少なかったような気がします、選択の際に誰かにも責任がある状態にすると、人間の心は脆いもんですから、成功したらいい気になって忘れるくせに、失敗したらその何割かをその誰かが原因と考えて、思い出すたびにモヤモヤした気分になったりします

ですので、「自分自身で全責任を負うぞ」と思ったら、少しでも「自分が好きなこと」「自分がやりたいこと」を選んだ方がモチベーションがたもたれやすいだろう、という話になるんじゃないかと思うわけです

この、責任の所在というのがまた重要で、自分が自分の人生を重要だと考えるのと同様に、この世に生きている存在は全部それぞれの生涯に手一杯で生きている、だからこそそれをお互いに助けることで「助ける側が救われる」ということも起こるのだろうし、逆にそれを知りながら自分の人生の選択を「無責任にも」相手に押し付けたりしたら「自身でも許しがたい自分になってゆく」ということもあるでしょう、自分の人生の責任の所在は自分自身以外にありえず、また他の人の生涯の責任を代わりに負う、ことも同じぐらいに起こらないことで、万一「あいつの人生には俺がいないとだめだ」みたいなことを思うのであればそれはある種の冒涜である、ということです

さて、自分の人生の責任を自分で負うと仮定した際に、問題になってくることがあります

それは他ならぬ、「自分はいったい何が好きなのか」ということです、実際、こっちの問いの方がずっと難しいんじゃないでしょうか

自分自身がどんな人間か、と自分で考えれば考えるほど、あやふやで掴みどころがなく、自分が好きな物事なんてものも、気分によって、環境によって、日によって、下手すりゃ時々刻々と変わっていってもおかしくないものです、自分自身を正確に掌握するという行為はみなさん御存知の通り難しい事であるわけです

ここで改めて、「自分以外の世界を見る」という作業が必要になります、自分自身の輪郭を、世間の様々なものと照らし合わせて、比較しながら判断します

「この話は好き」「この商品はそうでもない」「あそこには近寄りたくない」「この件は別にどうでもいい」、そんないろいろな物事との比較によって、自分自身の輪郭が浮き彫りになってゆき、そしてそれらの経験や学習によって自分自身も「変容」します、生きている限り変わり続けるわけです、「あの選択の結果を知った以上今これを選ぶわけにはいかない」とか気がついたあとの自分は決して当時の自分と同じものではありません

そして、「好きなことをする」ということの意味です

「好きなこととは何かを考えてそれを選ぶ」という作業は、変容する現状の自分の「最適解を探す」ということに近しいのではないかと思います、自分は「足りている人間」ではない、この先も「完全に足りた状態になる」ということもあり得ない、その不確かな状態なりにもできる限りの材料をそろえ、誰のせいにもせず、自分で最大限に納得できる選択肢を吟味して選ぶ、という一連の流れが、「好きなことをする」という言葉の正体であり、自分で自分を嫌いになる要因を減らし、また現在を同じようにみずからの手で選択しようと努力する人へ手を差し伸べる心にもつながるんじゃないのかなとも思います

まあ、こんな立派そうなことを書きますと、「私はそんな立派な人間じゃないからな~」と自嘲のひとつも書いといたほうがいいかしら、みたいなことが頭をかすめたりなんかいたしますが、やっぱり、それは必要ないと思われます、自分というものは「もともとある」ものではなく、「自分で作るもの」だからです、自分という存在は自分でプロデュースしてなんぼで、自分で自分を演出し、自分自身に少しでもマシな行動をさせてゆくのが、人として面白くおかしく生きる秘訣なんであります、そんで、演出家というものは「一人居りゃ十分」な仕事である、ということです、自分自身への唯一の演出家として、自分が好きな自分を演出し、また同時に唯一の演者として今後とも存分に演じきってまいろうじゃありませんか、というお話でした


てなわけで十分な文章量をかきあげましたので本日はこれにて終了といたします、それではまた来週お会いいたしましょう

<今週の消しゴムはんこ>
「チューリップ」を彫りました(消しゴムが細長かったため)

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