幸福論

まー大げさなタイトルですが

昔、今より若かったときは、「絶望的な現実」を想定することにだいぶ注力していたように思います

現実に起こる「絶望」に対応できる自分へと訓練をすることで、後の未来への備えとなると思っていたのです

その一方で、同じぐらいに具体的には「幸せ」については考えなかったのだなと今考えると思うのです

やっと最近わかったのですが

幸せは、「自分で決める」ことであり、「他者には決められない」ことであり、そして同時に「どっかで自分で決めないと『いつまで経っても決まらない』」ことであったのです

もっと早くに気がついとけば何かが違ったのかもわかりませんが、「自分程度の頭では到底気がつきゃしなかったろう」と思うので特に後悔はありません

幸せは決めた瞬間から具現化してゆくものだったのです

自分で決めるんだから好きに決めてよく、決めたあとで「なんか違うな」と思ったら自分で決めたことなんだから自分で変えちゃってかまわない

なんなら幸せは1個だけにする必要もない、決められるだけ決められるなら自分の周りには自分で決めた幸せがそりゃあたくさん出来ることになる

幸せは誰かと分けてもいい、と決めればさらにあれこれ広がります、いろんな人が決めた幸せがたくさん世の中を巡るわけです、これはなかなか面白そうです

そんなにうまくいかないよ、というのもまた常ですが、うまくいかなきゃなおのこと、たくさん生んどかないといけません、幸せが脆弱だというのならそれこそあのマンボウみたいに、1億個くらい生みまくっておけばそのうちのいくつかは立派に成長するのです、もっとも生んだそばから都度都度消費してゆくのも手軽でいいと思います

今が幸せでないのなら、幸せを決めるチャンスです、人間に想像力と決断がある限り、物理的に一切なにもなかろうと、「幸せ」だけは決められるのです

そして、幸せの反対側の「不幸」もまた、決めると具現化するだろうので「考えなくて良かった」わけです、なのでこれからそうしときます

えー、ちゃんと、真面目に書いてみましたけどもいかがでしたでござんしょうかね、またなんか思いついたら書きます

コメント

タイトルとURLをコピーしました