現時点ロックンロール考(2019.11.12)

お写真とくに関係なし、こないだ弘前公園で撮った素晴らしきもみじ

お酒もさめたのでさっきこぎん刺ししながら考えてたことを口調気にせず書きます(本気で考え事をする時はいつも物凄く口が悪いです)


昔から、「いつか売れてやる」という考えがあんまし好きでない

「売れたら全部がチャラになる」とはとてもじゃないけど胡散臭すぎるし、「売れたらやりたいことがある」なら今この瞬間に出来てなければだめなのだろうと思っている

たとえば、「売れた」という瞬間がやってくるとして、世間様の目が一斉にこちらを向いた時に、「売れたらやりたい」と漫然と思ってたものを披露したところでたぶん、あんまりよろしくない目に遭う

なので最初から単独ライブばっかしやる活動をしていた、もしも売れる瞬間がきたとしたらやりたいことが単独ライブだったからだ、宣伝のチラシも幕間の映像も脚本も演出も出演も全部自分たちでやる舞台

やってくうちに、「こりゃたぶん売れないな」と途中で気がつくわけだけど、『売るために作ってなかった』ので『辞める理由が出来なかった』、作りたいもの作るだけなら売れなかろうができるのだ

「いつか売れたらチャラになる」、という考えは、本当に嫌いだ、そんな理由で今をないがしろにするのがとにかく嫌いだ

実はこの「いつか売れたらチャラになる」というのと「売れないくせにいつまでやってんの」というのはどちらも『同じ仕組み』の言葉なんだけど、「いつか売れたらチャラになる」は自分発信であるという点でよりタチが悪かったりする

結局「今」しか作ることができない

人間ができることというのはいつでも、今をどうにかすることだけだ

ならば、何が起ころうがとにかく、現状できうるハイスコアを叩き出すとか、自分自身の不機嫌な気持ち等を一刻も早く立て直して機嫌よく過ごすとか、そういうふうにしてたほうがよい、自分にとってより良い時間をとにかく作りまくって過去に送り込んだほうが最終的に「良い状態の人生の割合」が多くなるのだ

悪いことなら忘れたほうがいい、どんなにもやもやしても、ツイッターとかに書いちゃうと文字として覚えちゃうから書かないほうがいい、ほんの一瞬の不機嫌のために過去まで残るようなシミを作ることはないのだ、人間は忘れることができる(特に私は忘れっぽい)

それが「良い時間」ならば、世間体がどうだろうが続けたいだけ続けて、そうじゃないならどんだけかっこ悪くともすぐさま辞めて良い、世間体とか ほんとにいろいろ言ってくる人が周りに居たとしても、そういう人はたぶんこちらの人生にそこまでの「責任」を果たす気はないと思う


自分の弱さを自分で哀れんだ時に、卑屈な態度が出来上がる、その卑屈さを作品として売るという常套手段が昔からあるけどこれもできるならやめたほうがいい、「誰がやっても同じようにアーティストっぽくなる」というこの手段は、安いのだ、舞台で誰かが全裸になって笑いを取ったとしたらおんなじように全裸になった人に一瞬で横に並ばれる、同様に、舞台上で自傷した人、下手すれば舞台上で自殺した人は同じように舞台上で自殺した人とそこで全くの同価値となる、「誰でも同じ人」となる、それは表現じゃない

同じことをすれば全員同じ地位までたどり着けるものを売りにして「誰でも同じ人」になった人は、「多少なりとも『自分は誰か』を決めた人」に敵うことがない


自分は自分自身に対しての評価が低いので、自分への自信というのは基本的に無いけれど、それで別段困ることも特に無い、この先に「もっと自分への自信をつけたい」とも思わない、何かをやる時に自信とかやる気とかは実はそんなに必要ない

なんなら、自分でついたハッタリに自分自身を合わせることだってできる、自分が成功することを期待していないからやりたいことが自由にできる、ましてや他所様の評価を自分が得られるとも考えていないからちょっと褒められただけでもありがたくてしょうがない(さすがにものすごくけなさりすればそれなりに悲しくなるけどもそれも自分で自分の機嫌を取ればよい)

どうせならば愉快でありたい、この先、悩みも何もなく、何も考えてない人として生きていたい、極端に凄くも強くもなく、かといってそこまで弱いわけでもなくありたい

演出によってそうなれるのだろうと思う、自分自身に対する強固な演出によって


…いつも、「ロックンロールとはなんだろう」とか考えるとこんな感じの思考になり、そんで本当にロックンロールな人というのはこの「演出が本物で完璧な人」のことだろうというのが現時点での予想であります

書けてない話がいっぱいあるけど、とりあえず今日のとこはおしまい

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