『もしもは無いにしても』の話

ただ今コインランドリーにいるわけですけども、土曜日は日比谷の野音で雨の中藤子さんと一緒にエレカシを聴いておりまして、日曜日は女芸人による人狼ライブ「オンナオオカミ」に出演したあと青森関連のイベントに二箇所お邪魔してまいりました

おかげさまで、本日までにかなりいろいろな方とお近づきになることができまして、弘前に移住するのが前よりもダントツに楽しみになってきております、ありがたい限りです、すぐに引っ越せないのがもう毎日毎日残念なのですが、移住するまでの間にもまたいろいろなことがきっと起こって、最終的には私の予想もつかないようなところまで転がってってくれるんじゃ無いかと、そんなつもりでわくわくと暮らしております

昨日のお話なんですけども

最後にお邪魔した「津軽弘前会inTOKYO」という、弘前にゆかりのある方、弘前が好きな方が集まるイベントで歓談中に、まだきっと20代前半くらいの方とお話をしておりまして、その方が「…こういうイベントに来ると、みなさん自分の好きなこととかやりたいこととかしっかり持っててすごいですよね、僕なんかまだまだで…」ということをおっしゃられており、それに対してなんとお答えしようかと考えている間に会がおひらきになってしまったので結局何も言えずじまいとなってしまいまして

お名前も残念ながら覚えておらず、名刺もなく、おそらくここに書いたところでどうしようもない話なのですがもしあのお言葉に一言だけでもお返しすることができたなら、

「実のところを言ってしまえば、誰だってそんなキラキラしてない」

とだけでもいいから言えていたらなと思うのです

なによりも、信じといたほうがよいものは、キラキラしてないとこも合わせた自分自身に他ならず、どんな正論も、美談も、思想も、金も世間も頭脳も政治も、自分自身の人生について責任を負ってくれはせず、たとえばお腹が空いた時に『誰かに代わりに食べてもらっても』なんにも解決しないのと同じように、自分の人生は、ただただ自分自身と工夫しながら、自前で責任持ってやっておくよりほかにないのです

周りからキラキラしてるように見られなくても構わないから、だらしない自分のことも自分のものとしてカウントしながら、その上で、まだまだやれる自分のことを信じてやっとればそれでよいもんに違いありません

もしもは無い、のついでで言えば、私はもっと早くから、自分自身のことを信じてしまえばよかったなと今なら思うのです、それでも、自分のことを、全然信じてこなかった時間も含めて今このありがた〜い状況になっているのだとしたならば、それだってぜんぜん悪いことじゃなかったよなとのんきに思ってしまえるのです、そんなもんです

学校を出て、いろんな仕事して、東京に一人で住み始めて、その間にもうまったくの絶望的な貧乏をしたり、鬱になるぐらい追い込まれるような目に何度もあったり、しましたが、無事に生きれましたし、それになにより、きっとここからは『あの頃よりも1人になることはないだろう』と思えそうな道まで運良く辿り着けたのがありがたいことだなと思います、たぶん、おんなじぐらいエライ目に遭おうと、その時はきっとあの時ほどひとりぼっちじゃないような気がします

こういう話も、別に私がわざわざ言わずともきっとおんなじような救いがその人にもあるだろうと思うので、あんまりくよくよせずにお過ごしくださるとよいなあと、大変無責任にて恐縮なのですが、そうお祈りする次第でございます

もうそろそろお洗濯も終わるのでこの辺で

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