寺山修司展

 

記念シンポジウム「寺山修司の現場」でのJ・A・シーザー氏、田中未知女史、展示のデザインをご担当された祖父江慎氏の話が聴きたくて出掛けてきたのですが、司会役の三浦雅士氏が頼まれてもいないのに半分以上一人で喋り倒すという内容でかなり不完全燃焼でした、司会は別に立てていただいた方がより有意義なお話がご本人達から聴けたでしょうに…。残念でした

それでも、「寺山修司と言う人は『あなた方は99の可能性を踏み潰してここまできたと思っている、しかしそれは間違いだ、今こそその踏み潰したはずの可能性99個を使うときだ』という話を独特の口調で語ってくれる男だった」とか、シーザー氏の「絵を描く時のように脚本というのは出来上がる、絵を描くときのように音楽はできてゆく」など、ところどころで聴けたお話がかなり興味深いものでした

その後時間の許す限り寺山修司展の内容も観てきたんですが、祖父江氏の展示がもうそれだけで素晴らしいインスタレーションの様、あれを体験できただけでも講演以上の価値があったと思いました

もちろん展示の内容もボリューム、濃密度ともにかなりのもので、よくあれだけコンパクトなスペースであれほど多様な情報が効果的に展示されたものだとそこにも大変感動できます

ここからはさらに個人的な感想となりますが

わたくしは演劇の専門学校を出ているくせに『演劇』というジャンルが好きではなく、なので、寺山修司の文章や舞台や映像等には『凄さ』は感じられても、私にとっての岡本太郎のようにストンと納得ができるような共感覚は殆どなく、あまり自分に縁のないものなのになんでここまで熱心に観ているのか、みたいな気分になるのです

お若い時から詩歌の才能に優れ、さらに舞台芸術や実験的な映像にまでその才覚は及んでゆく、昔の書簡を見れば大変な読書家だったということもわかるし、高校生の頃に書かれたという詩には、「どうやったらこんな言葉を探り当てることができるんだろうか」と不思議に思う

見ているこちら側と言えば、本や映画はそんなに好きでないのでからっきしだし、あと、あんなにいろんな人達とあんなに大掛かりな装置であんなに斬新なことを為遂げよう、とかこれから先の自分はおそらく考えたりしないだろうし(そういうのやんないで済むからピン芸人であるのだし)

もし自分がこれから何かをするのであるなら今日の展示のどこにも無かったものにしておかないと嘘なのだろうし

それでも、会場の出口にあったガチャガチャで寺山修司の詩の一部が書かれてる缶バッチなんかを迷わず買ったりとかしているわけで、なんだか自分にとっては寺山修司は不思議な存在なのです、のめり込まないし好きか嫌いかわかんないしでもものすごく気になってはいるというか、妙な気分です、あとは以前エッセイ読んだときに「きっと『かわいい男の人』だったんだろうなあ」と思っただとかそのぐらい

生きてると、いろんな気分の出来事にでくわすもんなんでしょうね、また縁があったら出かけるんだろうと思います、ともかくもいいお時間でございました、展示観る時間もっとあったらよかったなあ

…それにしても、今日はこの展示を観に行った後に新宿で岡本太郎の太陽の塔のドキュメンタリー観ようと思ってたのに台風で中止になっちゃったんですよ…もしその映画も観ることが出来てたらまたこの先の人生の分岐が少し変わっていたかもしれないと自分では思っています

思っていますがもうその分岐は見ることが叶いません、日々とはそんなもんでございます

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